毕业论文

当前位置: 毕业论文 > 英语论文 >

日语论文日本人际关系的考察以“间意识”为中心(3)

时间:2018-09-09 20:47来源:英语论文
(1)物と物、または事と事のあいだ。あい。間隔。 ①あいだの空間。すきま。 ②あいだの時間。ひま。いとま。 ③ある事にあてる一続きの時間。 (2)


 (1)物と物、または事と事のあいだ。あい。間隔。
①あいだの空間。すきま。
②あいだの時間。ひま。いとま。
③ある事にあてる一続きの時間。
 (2)長さの単位。
④家など、建築物の柱と柱のあいだ。
⑤畳の寸法に言う語。
(3)家の内部で、屏風、ふすまなどによって仕切られたところ。
(4)日本の音楽や踊りで、リズムを生むための休拍や句と句との隙間。転じて、全体のリズム感。
(5)芝居で、余韻を残すためにせりふとせりふとの間に置く無言の時間。
(6)ほどよい、ころあい。機会。めぐり合わせ。
(7)その場の様子。具合。
(8)船の泊まるところ。ふながかり。
 以上の中国語と日本語における「間」の意を比べてみれば、両方共時間的、空間的な間隔を表し、それに人間関係のことを指す。名詞以外に、部屋の数を表す助数詞としての意を持っている。時空を統一する「間」というものが一般的に日本特有とされ、中国語における「間」の概念が無視されがちであろう。ちがうところは、音楽と建築などの芸術に関する専門用語が日本語の場合では数多くて細分化されている。
 日本人が無意識のうちに身に付いている間の意識は、いったいどのようなものであろうか。それから、言語と行動を中心に、日本人の間の意識、すなわち距離意識の一側面を検討してみよう。
2. 2  言語から見た日本人の間意識
日本人の間の意識は日本語の中にその姿が見られる。あいさつ言葉、あいづち語、接頭語と接尾語、間の感覚を持つ副詞、そして婉曲表現、そのすべてにおいて共通するものがある。その中に距離意識が働いている。話し手と聞き手の間に緩衝地帯を設け、あるいは直接接触するのを避けるなど、一言でいうと、相手と適度な距離を取ろうという意識は日本人の根っこに存在しているからであろう。
2.2.1  あいさつ言葉
  あいさつ言葉というのは、人に出会ったり、別れたりした時、礼儀的に取り交わす言葉である。いうまでもなく、どの国にもあいさつ言葉が存在し、しかし、「いただきます」、「ごちそうさまでした」、「ただいま」、「お疲れ様でした」などのあいさつ言葉は日本だけにあると思う。そのゆえは他国は食事の前にこういうようなあいさつ言葉をする習慣がないからである。
「ごちそうさまでした」というあいさつ言葉は食事後に言う日本語の挨拶である。くだけてごちそうさんともいう。発声の際に、手を合わせたり、軽くお辞儀することもある。
「馳走(ちそう)」とは、元来、「走りまわる」「馬を駆って走らせる」「奔走(ほんそう)する」ことを意する。古くは『史記』(項羽本紀)にもみられる語である。これが日本にはいったのち、(世話をするためにかけまわるので)世話をすること、面倒をみることといった意が生まれた。さらに、用意するためにかけまわることから、心をこめた(食事の)もてなしや、そのためのおいしい食物といった意が、中世末から近世始めにかけて生まれた。これに接頭語「御」付けられて丁寧語となり、接尾語「様」がついて挨拶語となった。日本国語大辞典では初出として『浮世風呂』(1809-1813年)の一節「其節はいろいろ御馳走さまになりまして」を挙げている。
時代のかわりに伴って感謝の気持ちがだんだんうすくなる現代でも、一人の食事でも、日本人はいつも「いただきます」、「ごちそうさまでした」を口にしている。その根本は、日本人の間意識が働いていると考えられるだろう。日本人にとって、食事前、食事中、食事後は異なった状態である。一つの状態から直接的に別の状態に入れば、日本人はいつも落ち着かない感じがする。何らかの形で緩衝地帯が必要である。空間的に言うと、「いただきます」と「ごちそうさまでした」は、二つの異なる状態に挟まれた過渡の空間、つまり、間である。「いただきます」と言うあいさつ言葉は、「食べていない」と言う動作から「食べる」という動作に移る時の言い方で、「ごちそうさまでした」と言うあいさつ言葉は、「食べている」という動作から「食べた」という動作に移る時の言い方で、両方とも二つの動作を結ぶという役割を果たしている。すなわち、「いただきます」、「ごちそうさまでした」は一種の「間」だと言えるだろう。 日语论文日本人际关系的考察以“间意识”为中心(3):http://www.751com.cn/yingyu/lunwen_22748.html
------分隔线----------------------------
推荐内容